こんにちは、darakeです。
休日に子どもの体調が優れず、病院の救急外来でお世話になりました。休日に医者がいる安心感と感謝の思いをもったと同時に、休日に生徒の面倒を見てくれている先生方に、そこまで感謝の思いを抱いているのかどうかが疑問に残りました。
さて、
今回のテーマは、学校に登校できない・しない生徒を、登校させる必要があるかどうかです。世間の常識や正義感だけでは、通用しない世の中になってきているため、改めて考えてみましょう。
2つの事例から、不登校問題についての見解をまとめます。
登校刺激を与えた事例
以前クラスに、小学校から中1まで、学校に登校していなかった女子生徒がいました。
この女子生徒は物静かな性格で、小学校から集団生活に慣れていなかったため、人とコミュニケーションをとることに不安を感じていました。
保護者の考えとしては、登校させたかったので、私と協力しながら行動を始めました。
最初は全生徒が下校した後に、本人と保護者で登校して、教室で夜の学習をスタートさせました(30分程度)。
そんな活動を1~2か月続けた後、いざ朝に登校しようとしましたが、生徒本人が拒否しました。家から出ようとしませんでした。そして、また夜の学習に戻し、中1の期間が終わりました。
中2になるにあたり、クラス替えがあったので、そのスタートに合わせて登校させようとチャレンジしました(保護者の要望のため)。
しかし、新学期の朝になると、泣きながら家から出ようとしませんでした。幸いだったのが、同じクラスに親戚がいて、その保護者の協力のもと、かなり強引に車に乗せて教室に入れることができました。
お昼ぐらいまでには落ち着いて、その日を過ごすことができました。彼女の場合、その後気の合う友人と良好な関係を築くことができたので、うまくいきました。
登校刺激を与えなかった事例
もう一つの事例として、中2の途中から不登校になった女子生徒の話です。
この生徒は、小学生の時から内に閉じこもるタイプで、社交的ではありませんでした。
環境問題や平和について考える時、自分の無力さや存在意義など、人よりも考えこんでしまう生徒でした。正義感は強いけれども、自分には能力がなく何もできないと思い込んでいました。
そのため自傷行為もあり、学校に登校する目的を見つけられずにいました。中2の4月、とうとう今まで溜まっていたものが爆発し、学校に登校することをやめました。
なので、保護者と相談の上、登校刺激を無理に与えることはやめました。学校が全てではないという考えのもと、心の安定を優先することにしました。
週末に学習プリント等を届け、その時に一言二言会話して帰るというのを一年半ほど続けました。
卒業式当日、自分の意志で学校に登校し、校長室で卒業証書を受け取りました。保護者との関係は良好に終わり、卒業式の日には感謝の言葉をいただきました。
まとめ
不登校生徒に対してのアプローチは、一律ではありません。
その生徒に応じた対応が大切です。学校関係者が言うことではないかもしれませんが、学校が絶対ではないので、本人が求めていないなら、無理矢理に登校刺激を与える必要はないと思っています。
無理矢理に登校刺激を与えた事例では、たまたま上手くいっただけの事例です。すべての生徒に当てはまるものではありません。
また、登校刺激を与えなかった事例では、学校に登校することなく義務教育を終えたので、学習に関してはかなり低い成績でした。しかし、これは長い人生の中で大した痛手ではありません。いくらでも挽回可能です。
ただ、コミュニケーション能力だけは人と関わらないと身につかないものなので、この点について、学校以外の気軽に通える教育の場がたくさんあるといいと感じています。
不登校になった生徒を傷つけるのは、本人、保護者、担任の思いが一致してない時です。登校させることよりも、本人の思いを重視すべきです。正論や世間の常識で判断することなく、生徒の思いを優先してあげるべきです。
というのも不登校になるには、それなりの理由、悩み、決断を経ているわけで、周りがアドバイスしても簡単には聞き入れることができない場合が多いでしょう。
担任は、三者の方向性が一つになるように尽力をつくすべきですね。
今後は、学校だけが学ぶ場ではないという考えを広め、学校以外の学ぶ場所が多くできることを望みます。教育関係者として、何かできることはないかと模索中です。
今回はここまで!
みなさんが、幸せな人生を送れますように!
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