中学校の道徳授業で使えるモラルジレンマ題材|道徳の教科化を考察します!

学習指導のこだわり

 こんにちは、darakeです。

 教育委員会の偉い人にお願いです。現場の教師にああしろ・こうしろ言う前に、人員増やすことや超過勤務についての具体的な改善案出してくれたら、現場の教師はみんな大好きになりますよ!

 さて、

 今回の記事は中学校の道徳授業についてです。

 中学校では道徳の教科化が始まりました。教科になったことで今までと大きく異なるのは、教科書の使用と記述式評価が義務になりました。

 義務化されたのでやるしかないですが、教育効果が高まるように効率よくやる方法を一緒に考えましょう!

心の声
心の声

教科書めちゃくちゃ使いにくいんだけど!

おい!心の声もれとるぞ!

 

心の声
心の声

っていうか、そもそも道徳性を評価する必要あるか?

だから、心の声がダダ漏れしてるって!

教科書と併用して、モラルジレンマ題材を使用して授業しようよ!

モラルジレンマとは

 

 モラルジレンマとは、物語や実話においてニつの道徳的価値が対立するように描かれていることです。

 「友情と正義」「命と法」「自分の命と他者の命」など、どちらを選んでもスッキリしない事象において、どちらかを選び、なぜそう考えるのかという理由付けが大切です。

 自分が判断した理由をじっくりと考え他者と議論することを通して、道徳的価値について深めさせるねらいがあります。

 「正解」は存在せず、「納得解」(自分かつ他者も納得させられるような解答)を導き出すことが求められます。

 生徒は答えが1つではないので何となくモヤモヤしますが、そのモヤモヤをいかにして解消することができるかが道徳性を育むことにつながります。

 「納得解」とはいえ、安易に「第三の解」に逃げさせては意味がありません。徹底的にニつの道徳的価値について考え議論させた上で、「第三の解」の可能性を見出すことはあり得ますが、まずはニつの道徳的価値の間でゆさぶりをかけられるように教師は授業を構成することが重要です。

 モラルジレンマ題材を用いた授業への批判として、「結論」を出さないことが挙げられます。それにより善悪の判断がつかない生徒が多くなるのではと危惧されています。

 これについては、次の2つの理由から問題ないと考えます。

  1. 中学生の大半は善悪の判断ができます。まともな家庭教育、小学校教育を受けてきている日本の生徒ならば、命は大切であり、人を傷つけることはいけないことだと判断できます。※ここでは犯罪を引き起こしてしまうような特例について議論しません。
  2. モラルジレンマ授業では、「結論」ではなく「納得解」を導き出せるように方向付けることが重要なのであって、そもそも「結論」は必要ない。

 中学生は価値の押し付けやキレイ事を極端に嫌います。世間一般の「善悪」の判断がついている中学生ならば、モラルジレンマ題材を用いた授業は、関心・意欲を引き出すことができ、実生活に役立つ教材だと感じます。

 少し話が脱線しますが、いじめが起こる理由は「いじめは悪だと知らないから」ではありません。大半の生徒が「いじめは悪」だと理解しています。にも関わらずにいじめがなくならないのは、他の理由によるものです。戦争や紛争も同じです。

 実践したモラルジレンマ題材はコチラからダウンロード

“モラルジレンマ題材” をダウンロード

33b3c93e7f9ea15d5ecfa7e1ddb371a8.zip – 26263 回のダウンロード – 394.86 KB

道徳の教科書の使いづらさ

 教科書が導入されて、授業がやりやすくなったかというとハッキリNo!です!

 そもそも、検定教科書の導入は、教師たちに道徳の授業を着実に行わせるための手段でしかなく、生徒のためと考えると有効な手段だとは感じません。

 まず教科書の読み物資料がとても長いです。結局文章の読み取りに時間がかかり、道徳的価値の自覚を深めることができないで授業が終わってしまうことも考えられます。

 これでは、教材に登場する人物の心情を読み取り、感想を話し合うような「読む道徳」からの脱却は図れない気がします。

 さらに、実際は教科書の順番通りには進められません。強引に順番通りに進めたところで、その時の生徒の実態と、学んでもらいたい内容項目が一致していなければ教育効果は期待できません。そのため、順番を入れ替えたり飛ばしたりすることが生じます。

 個人見解としては、物差しに縛られない独自教材を有効活用しつつ、教科書の使える題材は使うというやり方がベターだと思います。もちろん、週1回の道徳の授業を形骸化させてしまうことはいけません。

道徳の評価は必要ない

 まず、どのように評価するかというと、

①数値ではなく、記述式で評価
②他の生徒と比べるのではなく、個の成長を評価する
③入試には関係ない
④通知表には記載するが、高校に提出する調査書には記載しない

 これらから、道徳を評価することに無理があるとわかります。

 評価する方法は、生徒の発言や感想文などをファイルして教師が変化や成長を読み取るわけですが、あまりに客観的過ぎます。

 だから、入試の合否には使えないというわけです。

 発言することが苦手な生徒や自分の考えを作文することが苦手な生徒もいます。だからといって、これらの生徒の道徳性が育っていないという結論にはなりません。さらに、評価されることで、教師が好みそうな「正解」に寄せて発言や作文する生徒も出ています(まあ、入試には関係ないので少数ではありますが)。

 darakeのイメージとして、各教科の関心・意欲・態度を評価することと同じくらい客観的で曖昧です。

 結局、教科化したからには評価もセットで行うという形式的なものにしか感じません。

 自分が中学生だったら、記述式の道徳の評価にはほぼ関心をもたない気がします。

 現場としては、非常にやりづらいことに間違いありません。ただでさえ時間がないのに、余計な仕事(教育効果の薄い)を増やされただけです。

 さらに納得できないのは、教科化したくせに専門教師は設置しないということです。そもそも、現状道徳の専門教師というのが存在しないので、道徳の教科化は矛盾が多いですね。

まとめ この7点を意識して実践

 

 とはいえ、道徳の授業で必ず身につけさせたい内容はブレてはいけませんね。darakeは、次の7点を意識して実践しています。

①誰から見ても明らかな善悪について、判断できるようにしたい
②モラルジレンマについての「納得解」を個人、集団で考え抜く力を育てたい
③本来もっている優しい心を堂々と表現できるようにしたい
④既存の常識を疑えるようにしたい
⑤多くの情報、様々な視点や意見をふまえて、自分の信念をもてるようにしたい
⑥信念をもち行動に移してもらいたい
⑦行動したことでの責任をもてるようにしたい

 これらを前提にして、22の内容項目、生徒の実態、社会情勢を照らし合わせながら、授業を構成していけばいいと思います。

 一つの例ですが、2019年に起きた川崎市の殺傷事件が起こった時の道徳授業では、16郷土の伝統項目(例え教科書の順番通りだとしても)を扱っても効果薄いということです。

 どうせなら、1自主・自律、自由と責任、11公正・公平、社会正義、19生命の尊さ等について授業展開すると、実社会で起きた悲惨な出来事を実感しながら、社会に出た時に自分が身につけておかなければならないことがイメージできて、教育効果も高まるのではと考えます。

 指導要領は大切ですが、それ通りにやることだけが教育ではないはずです。より効果的に生徒の道徳性を育みたいですね。

 今回はここまで!
みなさんが、幸せな人生を送れますように!

コメント

タイトルとURLをコピーしました