こんにちは、darakeです。
多くの学校では、冬休みに突入しましたね。教師の数少ないメリットの1つです!
実は記事にしたいことがたくさんあるので、ブログの更新頻度を増やしたいと常に思ってはいるのですが、実行できていません。自分に気合を入れて、冬休みこそたくさん更新したいと考えています!
ということで、今回は自分が教師になるまでの道のりの記事になります。先日、大学に行ったことが思い出すきっかけとなりました。
1敗目!
まず、大学4年の6月に、1度目の教師採用試験を受けました。
敗退・・・!
というか、やる気すらなく完全に記念受験でした。あれで受かっていたら、その時必死に対策していた人たちに申し訳なさすぎて、結果、落ちてよかった。
きっと、周りは大学3年生ぐらいから採用試験の対策を始めていたんです。何となく周りがザワついているのは気づいていたんですが、見て見ぬふりして、遊んでいたんです。とにかく飲み会が楽しくて、バイトしては飲み会を繰り返していました。ダメな大学生でしたね。
教育実習が大学3年の秋にあり、それが終わってから本格的に対策を練る人が多いんです。ただ、darakeは、『教師になろうかな?(ぼんやり)』と考えたのがこの時期なので、もう勝負は見えてました。
人生において、試験をたくさん受けてきましたが、あんなに対策しないで臨んだのは初です。だから試験会場では浮きまくってました。周りは人生かけてきている人がいる中、記念受験のやつがハマるわけがありません。休憩中に友達と話をしていたら、うるさすぎて隣の人に注意されたことを覚えています。ダメすぎます!
ただ、頭の片隅には期限付き教師という抜け道があることがわかっていたので、焦ってはいなかったんですね。少し世の中をナメていたんですね。
2敗目!!
何だかんだで、無事に大学を卒業して(遊び尽くして)、社会に出ることになったんです。ただ、周りは民間の就職が決まったり、採用試験受かったりしている中、darakeは期限付き教師の連絡待ちでした。
しかし、1月、2月になっても連絡はこないんです。今考えると、一般教師の人事異動が決定した後に期限付き教師が決まってくるわけで、よっぽどのコネがない限り(実は後で恩恵を受ける)は、当然なんです。
焦り出した小心者darakeがとった行動は・・・
塾講師の面接を受ける!
え?何で?と思う行動ですよね。自分で今考えても訳わかりません!焦っていたんです。自業自得だけど。
そして、合格してしまいました。『塾講師として自分は生きていくんだ!』と決意した日の夜、教育委員会から電話がきました。
『期限付き教師の空きがあります!』
さっきまでの決意はどこにいったのか、食い気味で『お願いします!』と答えていました。すぐに塾に断りの電話をしてしまいました(某有名塾様、大変申し訳ありません)。
さて、期限付きとはいえ、念願の教師として4月から働くことになりました。さて問題です。6月にある採用試験の対策をdarakeはしていたのでしょうか?ここまで読んでくれた人ならわかるでしょう。そうです!しているわけがない!!
ただでさえ、初めての教育現場で右も左もわからない状態で、日々の授業準備に追われ、それどころではありませんでした。前回落ちてから対策をしているわけもなく、見事に2回目の採用試験も敗退しました!
採用試験は、1次試験は筆記のみ(一般教養と専門分野)です。6月に試験を受けて、7月の終わりに結果が郵送で送られてきます。この結果通知が、不合格だと1枚の紙だけなんです。まぁ薄いこと!開封する必要がないくらい不合格を理解します。確か、この時はしばらく開封しなかった覚えがあります。
対策をしていない自分が悪いだけですが、さすがに少しだけ焦りが出ていましたね。
3度目の1次試験
期限付き教師1年目が終わろうとしていた2月頃に、校長から呼ばれました。その内容は、次の1年間働く学校の紹介でした。運と少しだけ勤務状況が認められた成果だったと思います。
4月になり、新しい学校に着任しました。不安と期待を抱きながら出勤した時の衝撃は、今でも覚えています。校長から言われたのは・・・
『絶対に今年採用試験受かりなさい!』
当たり前のことですが、他人から改めて言われたのも初めてだし、無事に1年目教師として勤務できたこともあり、『採用試験に受からなくてもイケるかも?!』と安易に思っていたんです。
これは、プレッシャーになりました!でも、身が引き締まりましたね。大学生から適当に流していた採用試験とやっと向き合えた瞬間だった気がします。この校長の凄いところは、定時退勤、部活指導なしを強制的にやらされました。今振り返ると、この校長のおかげで今の自分がいます。感謝です。
これだけ外堀を埋められると、対策しない訳にいかないです。そこからは猛勉強しました。まずは1次の筆記に合格しないと何も始まらないので、朝5時に起きて勉強、仕事終わってから勉強、大学入試と同じぐらい対策しましたね。なんせ、2か月しか時間がないので。
そして、運命の7月末がきます。
合格通知が届く日、校長から1度家に戻って見てこいと言われました。ここのポイントは、結果見てから戻ってこいということです。落ちてた時のことを考えると、一気に不安になりましたね。
家に帰ると、郵便受けには1通の封筒が入っていました。開封する必要もなく、わかりました!
なんて分厚い封筒!!!
この時ばかりは、一人で泣きました!マジで辛かったんです。仕事しながらの勉強生活。
二次試験へ
二次試験の内容は、当時、小論文、個人面接、集団面接でした。初めて受ける試験だったので、どんなことが求められるのかよくわかっていませんでした。ただ、1年間期限付き教師として現場で働いた経験は絶対に活かせると自信がありました。
現場の経験が実習ぐらいしかない大学生がいくら対策を練っても、現場を1年以上経験した人間には敵わないでしょう。
ということで、小論文のテーマについてはいくつか候補を絞り、どれが出てもいいように書ける対策だけはしておきました。個人面接と集団面接は、現場の経験頼みの、ぶっつけ本番という作戦にしました。
試験会場近くのビジネスホテルに前日から宿泊したんですが、そのホテルがdarakeの試験対策の邪魔をすることになるとは思ってもみませんでした。
なんとTVをつけたら、ペイチャンネルが無料で放送しているんです。ペイチャンネルって「有料チャンネル」という意味なのに無料なんです!!これは、男として葛藤しましたね(意味のわからない女性の方はスルーで)。何とか欲望を制御して、試験が終わるまではTVのリモコンを触るのをやめました。
では、試験はどうだったかというと、小論文は対策した甲斐もあり、予想通りのテーマだったので手応えありでした。問題は集団面接でした。
集団面接での唯一の作戦として、1番最初に口火を切ろうと決めていました。試験官からテーマが出され、スタートの合図と共に、『どうやって進めましょうか?」『司会を立てて柱に沿って議論しましょうか?』という提案をしました。これにより積極性が加点されるのです(傾向は予習済)。
そして、司会の立候補者がいなければ、最悪自分でやろうとしてました。ただ、司会は諸刃の剣なので、自滅する可能性もあったので、できれば避けたかったんです。そんな時に目に入ったのが、隣に座っていた博士君です。これは、見た目が博士のようだったので、darakeが勝手に名付けました。
明らかに対策バッチリしてきてそうで、現場経験が豊富そうで、darakeよりも年上の博士君。司会を任せられる人物発見です!何とかやってくれないかとテレパシーを送り続けた結果、立候補してくれました。
全て予定通り!
この段階で勝利を確信してました。集団面接もある程度スムーズに流れ、あとは、最後に行われる試験官からの質問タイムを待つのみでした。そこで、衝撃の事実がありました。
順番に質問され、最後は博士君の番でした。1度も会話したことのない博士君でしたが、戦友として勝手に認定していました。そんな博士君が衝撃の感想を言いました。
『初めての採用試験は緊張しました。』
『残りの大学生活でさらに成長したいです。』
ん?初めて?大学生活?
そうです。博士君は現役大学生で、darakeより年下で、採用試験も初だったのです。ただ、ふけ顔だっただけです!!そんな人物の司会で集団面接を進めていたのです。後から振り返ると、おかしな言動はたくさんあったんです、実は。(笑
完全に結果オーライでした。こんな波乱もありながらも、全ての試験を無事に終わることができました。終わった時の印象は、『これは受かった!』でした。かなり手応えあったんです。
まとめ
3度目の正直で、やっと正採用となることができました。
合格した年の猛勉強は、絶対に忘れない思い出です。ただ、最初からやっとけよ!という話ですが。
今、採用試験の対策をしている人は、筆記試験についてはひらすら勉強あるのみです。近道はないでしょうね。ただ、2次試験については、実習や現場での経験が優劣の差となるでしょう。期限付き教師の経験が多い人は、完全に有利です!なぜなら、実際に生徒に対して授業をしているわけですから。机上で指導案書いているだけの人では相手になりません!
2次試験前に、現場でもう1度学びたいという学生は、実習に行った学校にお願いしてみるのも一つの手ですね。darakeがゲストティーチャーに行っている大学の学生ならば、連絡ください。何とか手助けできるように動きますから!!
今回はここまで!
みなさんが、幸せな人生を送れますように!
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