【番外編!北海道胆振東部地震を体験】改めて災害に備える意識を!

番外編

 やっとパソコンが使えるようになったdarakeです。

 今回の北海道胆振東部地震によりお亡くなりになられた方々へお悔みを申し上げますとともに、被害を受けられた方々に心よりお見舞い申し上げます。

 今回の地震で、私が体験し、感じたことを記事にします。

危機意識のなさ

 9月6日午前3時7分に北海道胆振東部で地震が起きました。新千歳空港や苫小牧市の近くというと、わかりやすいかも。

 厚真(あつま)町で震度7を観測しました。北海道に住んでいても、あまり厚真町という名は聞きなれていません。

 

 

 

 

 

 

 

 この地震の規模はマグニチュード6.7! 最大震度は震度7(北海道初らしい)

 ただ、自分が住んでいる場所は、震度3~4だったので、全く気付かないで寝てました。朝、5時過ぎに起きて、異変に気付きました。いつも当たり前につけていたトイレの電気がつかない!

 『電球切れたか?』

 『まあ、とりあえず用を済ませよう』

 洗面台の電気もつかない!

 『・・・・・・!?』

 『これは変だ!何かおかしい』

 テレビの電源もつかない!

 『・・・・・・!?』

 『これは停電だ!!』

 急いでスマホで調べて、やっと状況を理解しました。急いで外に出ると、信号機が消えていてビックリ!こんなの初めての経験です。

 家に戻り、情報収集していると、管理職から職員連絡がきてからが大忙し。学年の教師に連絡をして、クラスの生徒に連絡網をまわす。だが、固定電話がストップしており、回らない!!なぜか、1社の携帯電話だけがつながらず、回らない!!

 『やばいな!』

 部活動のLINEグループ機能を使い、連絡してみると、既読が!!

 『LINEはイケる!』

 何とか保護者同志のLINEグループを最大限活用してもらい、全生徒に連絡がつきました。ここまでで、約30分ほどスマホフル活用。

 水は問題なかったので、身支度は済ませることができました。ここで、あることに気付きます。

 『信号止まっているから、通勤できなくね?!』

 管理職に遅刻することを連絡して、待機状態に入りました。この段階で、まだ危機意識はほぼありませんでした。

 『1時間もすれば回復するだろうな』

 ぐらいの感覚でした。それから1時間、2時間経っても回復しないので、さすがに…

 『ヤバいかもしれん』

 と思い始め、水を買うために、外に出て、自動販売機にお金を入れて気づきます。

 

 

 『・・・・・・』

 

 『停電だよね。』

 『自動販売機動くわけないよね』

 近くのコンビニに歩いて行くと、薄暗い店の前に行列ができていました。

 『完全に出遅れている、俺!!!』

 とりあえず家に帰り、状況の整理をしました。この段階でわかることが、災害に対する危機意識が全くないことです。恥ずかしながら、食料も水も備蓄はしてません。

 まあ、前日までの買い置きが多少あったので、まだ、危機感はあまりなかったです。ダメですね。

 幸いなことに、家も水も無事で、電気だけが×です。

 そして気付きます。

 『スマホの電池切れたら情報手に入らんな!』

電気のない生活

 その1日は、電気のない生活でした。

 停電して、いかに自分が電気に頼って生活しているかわかりました。

 家中の明かりがつきません。テレビもつきません。オール電化のため、調理もできません。スマホの充電ができません。PCやタブレットの充電もできません。

 夜になって、明かりがないというのは不安を感じました。何とかろうそくと懐中電灯を手に入れ、復旧の情報もあまり頼りにならない状態の中、

 『明日はどうなるのか』

 という不安を抱えて眠りました。

 幸運なことに、朝起きたら電気が復旧していました。明かりがついた時の安心感は、ここ数年で感じたことのない感覚でした。この電気復旧のために、多くの人が不眠不休で努力してくれたのかと思うと、感謝の気持ちしかありません。

 やっと商品も流通し始めていますが、コンビニやスーパーの棚は、見慣れている風景ではありませんでした。いつもあるべき、おにぎりやパンの棚には何もありませんでした。改めて、今まで恵まれた環境で生活できていると実感しました。

 また、個人的な感想になりますが、今回の地震でイメージアップしたのが、セイコーマート(北海道のコンビニ)でした。地震発生1日後から、早くもおにぎりやパンが並んでいました。同時刻のセブンイレブンやローソンは、まだ商品が届いていませんでした。

 さすが、地元密着のコンビニだと感心しました。

災害時の学校現場

 学校は6,7日が臨時休業となりました。しかし、私たちは勤務でした。

 6日は午前10時頃に出勤し、14時頃に年休を利用して帰宅しました。

 7日は午前6時頃に出勤し、17時頃に帰宅しました。

 災害時とはいえ、ほぼ通常通りの勤務でした。7日についていえば、普段よりも早い出勤でした。

 これには理由があり、朝から生徒一人ひとりに電話連絡をしたからです。電話が繋がらない家には、直接行って連絡を伝えました。

 当然、学校も明かりがつかないため、薄暗い中で仕事をしました。生徒が登校していないので、授業はありません。しかし、数日後に学校祭が控えていたので、その日程変更や、変更による対応に追われました。

 学校は、まだ電気復旧していなかったので、今後の不安から、職員の間には、何ともいえない空気が流れていました。そして、家に家族を残してきている教師は、不安を抱えながらの仕事でした。

 一人暮らしの若い教師は、家に帰っても食べ物がないと嘆いていました。何といっても、PC関係が使えないのはダメージが大きかったです。校内ネットワークが使えないことで、プリンタも使用不可でした。

 生徒がいなくて、PCも使えないと、実はあまりできる仕事がなかったり・・・。

 教師人生で、このような事態は初でした。

まとめ

 今回の地震で、改めて自分の危機意識のなさに気づかされました。

 どこかで災害が起こっていても、他人事だと思っていました。意識を変えないとダメだと反省しました。

 そして、節電の意識が高まりました。

 どこまで続くかはわかりませんが、

 とりあえず、道内の電力が安定するまでは自らも節電し、生徒たちにも伝えていこうと思っています。

 今回は、いつもとテイストが違いますが、地震を経験した一人として、感じたことを伝えたいと思い、記事にしました。被災した人たちが、早く元通りの生活になることを願っています。

 今回はここまで!
みなさんが、幸せな人生を送れますように!

 

 

 

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